

信楽焼を調べてみる
「信楽焼」
たしかその名前を初めて聞いたのは小学生のとき社会の授業の延長で経験した焼物体験教室だったかと思います。
モノ見リョクの編集部がある(有)カワグチ企画ではこれまでに信楽焼のオリジナルアイテム「卵かけご飯専用の茶碗」や「カレー専用皿」などをリリースし、多くの方からご好評いただいている定番アイテムとなっております。
今回、記事として取り上げるにあたり、改めて信楽焼の歴史や背景、魅力について調べてみました。
信楽焼は日本六古窯の一つ


日本六古窯(にほんろっこよう)って?
日本六古窯(にほんろっこよう)という名称は昭和23年頃に小山富士夫さんという陶芸家であり日本の陶磁器研究者の方が名付けたそうです。中世から現在まで続く日本を代表する6つの窯(その産地)を意味します。
信楽焼もその中の一つとして数えられ、日本全国に広く知られています。
ちなみに日本六古窯の名称と産地は・・・
- 信楽焼・・・・滋賀県甲賀市
- 瀬戸焼・・・・愛知県瀬戸市
- 常滑焼・・・・愛知県常滑市
- 越前焼・・・・福井県丹生郡越前町
- 丹波立杭焼・・兵庫県丹波篠山市
- 備前焼・・・・岡山県備前市
信楽焼はどこで作られている?
信楽焼は
滋賀県の南部に位置する甲賀市
という場所で作られています。
「信楽焼(しがらきやき)」という名称が県名に直結しないので
「信楽焼の産地は何県??」という話題になってもなかなか答えるのが難しかったりしますよね。
信楽(信楽町)はかつて滋賀県甲賀郡に属していた町名であり、現在は甲賀市信楽町となっています。
筆者も以前、甲賀市を訪れたことがありますが、多数の窯元があり、 いたるところで信楽焼の代名詞ともいえるタヌキの置物を見かけました。
ちなみに滋賀県甲賀市は信楽焼以外にも面白い伝説があります。
それは・・・
中世に活躍したといわれる忍者の伝説です。


甲賀忍者の伝説で広く知られ、忍者から派生したといわれる製薬技術から「甲賀の薬売り」、そして現在地場産業の一つである製薬産業につながっているそうです。
ちなみに現在。甲賀流忍者屋敷という施設があり詳しい歴史や実際に使われていた仕掛け(からくり)の操作や体験ができるようです。
信楽焼の製造工程と特徴


焼きあがった状態の信楽焼の特徴としてゴツゴツとしたダイナミックなイメージと持った際にザラっとした印象がありますよね。
信楽焼の作業工程


信楽焼の作業工程は陶土(とうど)という陶磁器の原料にあたる粘土の調合から始まります。
土から掘り出した状態の粘土をそのまま陶器にすることはできないため、様々な土を混ぜ合わせて、原料としての陶土を調合します。
この調合作業が完了してはじめて陶器を形作る「成形」の作業にはいります。


ある程度乾燥させた後、「削り」と呼ばれるきれいな形に整えたり、装飾を施する作業をします。
成形が終わったものは2~3日の乾燥を経て、700~800℃くらいの温度で素焼きし、色や柄を付けるために釉薬(ゆうやく)を塗ります。
その後、窯で1200℃で焼き上げ、最後に口が触れる部分や裏面などの仕上げをして店頭に並びます。
信楽焼3つの特徴
信楽焼には主に3つの色味や質感の特徴があります。


火色
信楽焼に用いられる土に含まれる鉄分が窯(かま)で焼かれることにより赤くなり、赤褐色になります。これが信楽焼によくみられるオレンジ色なんですね。
焼き
焼き上げる際に、燃え切った薪が灰になり窯(かま)の中に積もりますが、この積もった灰の中に埋もれた部分は黒く色が付きます。この部分を「焼き」と呼ぶそうです。
自然釉(ビードロ釉)
焼き上げる際、窯(かま)の中で焼物の表面に灰が積もり、その灰が土に溶けて釉薬(ゆうやく、うわぐすり)を使ったような青~緑、または黄~緑のガラス質に仕上がります。
※ビードロ・・・・ガラス質を意味するポルトガル語
※釉薬(ゆうやく、うわぐすり)・・・・焼物の表面をガラスコーティングしたようにするための薬品
信楽焼といえば「たぬき」


信楽焼といえば愛らしいタヌキが有名ですね。先述の通り筆者も以前、甲賀市へ行った際、ものすごい数のタヌキを見かけました。
このタヌキの置物ですが身に着けている笠(かさ)や徳利、通帳、金袋、またお腹の出具合やしっぽの太さなど体つきで合計8つの縁起を表現しているそうです。


- 笠・・・思いがけない災難から身を守る
- 通帳・・世を渡っていくには信用が第一
- 目・・・何事も広い視野を持ってしっかりと気を配り正しく見極める
- 腹・・・常に冷静に。しかし大きな判断には大胆さも必要
- 顔・・・いつでも愛想よく
- 金袋・・不自由なく使える金運に恵まれるように
- 徳利・・食べることに不自由せず徳もてるように努力しよう
- 尾・・・何事も物事の終わりはしっかりと
その他にも
狸 ⇒ タヌキ ⇒ 他抜き
ということで他を抜いて出世するという意味もあるようです。
いままでは特に気にしてきませんでしたが、 こういった情報に触れると信楽焼のタヌキがとても有難く、福福しい顔に見えてきますよね。


大切な家族の安全や幸せのために家の片隅で信楽焼のタヌキに見守っていてもらうのも良いかもしれませんね。以前はリアルなデザインのタヌキも多かったようですが、現在はかわいらしい顔のタヌキや甲賀市の忍者伝説に関連して忍者の恰好をしたタヌキなんかも販売されています。
信楽焼の歴史
信楽焼は鎌倉時代の中期に常滑焼(とこなめやき)の技術的な影響を受けて生産がスタートしたそうで、この頃作られていたアイテムは常滑焼と区別できないくらいに似ていたそうです。


その後、室町時代に入り、信楽焼は独自に進化し始め、釉薬を使わない素地と先述の3つの特徴を魅力として普及していきました。
戦国時代になり、お茶などの場において使われるようになり、江戸時代への移り変わりとともに連房式登窯と呼ばれる生産方式が広まり大規模生産が可能になりはじめます。


またこのころから素地の味わいを重視してきた信楽でも釉薬を使用した焼物が作られ始めました。
明治維新後、近代化が進み、工業用品としての陶器が次々と流通し始め釉薬の開発や、ろくろでの成形法などが確立され、品質も向上していきました。


昭和初期、に天皇が信楽を訪れた際、国旗を持ったタヌキを並べて迎えたことで「信楽焼のタヌキ」が一躍有名になったそうです。
その後、人々の生活様式の変化に合わせながら進化を続け、昭和51年には国の伝統工芸品の指定を受け、現在進行形の信楽焼へつながってきています。
まとめ


今回は信楽焼の特徴や歴史、製造工程などを簡単にまとめてみました。信楽焼にはとても長い歴史やこの記事では語りきれないほどの魅力や技術面の進化がありますが、今回はできるだけわかりやすく、信楽焼の概要を手軽に知りたいという方のために投稿してみました。
先述の通り、信楽焼もとても古い歴史を持ち、日本人にとって身近な生活用品として愛されてきましたが、時代や経済の移り変わりとともに作るモノやその目的などが変わってきていることが良くわかりました。
最近では明治のチョコレート菓子「キノコの山専用のお皿」や「LEDで光る小さな信楽のタヌキ」など若手の作家やデザイナーとのコラボで頑張っている窯元さんもいらっしゃいますね。
今後も信楽焼がどんな形に進化していくのか楽しみでもあります。
弊社でも卵かけご飯専用茶碗やカレー専用皿など信楽焼のオリジナル商品を取り扱っていますので、今後もちょくちょく信楽焼については触れていきたいと思います。